ウエツフミとウガヤフキアエズ王朝の研究
—-大分に実在した古代国家—-
日本人は仏教が伝来するはるか以前から菜食主義だった!
『上記(ウエツフミ)』を詳細に読んでいると、面白い記述がありました。
多分「弥生人」の原型であろうと思われる「ウガヤフキアエズ王朝」(神武天皇の父)の人たちは、
仏教が伝来するはるか以前から“菜食主義者”だったのです。
『上記(ウエツフミ)』では、ケモノの肉を食べることを禁止しています!
「穢れて毒があるから・・・・」というのがその理由ですが、このことは、何を意味しているのでしょうか?
そして、『古事記』や『日本書紀』には、なぜこの記述が無いのでしょうか?
先祖たちが何を食べてきたのか?を考えることは、受け継ぐ遺伝子の面からも
「日本人のルーツ」の解明に大変重要なヒントを与えてくれると思うのです。
それでは、その内容を一緒に見てゆきましょう。
ウエツフミの記述から
ギントさんのイラスト「タタリ神の最後」
ギントさんのイラスト「タタリ神の最後」
まず、『上記(ウエツフミ)』には、こんな記述があります。
——-「宗像本」第11綴第8章【山狩人の狩猟と獣肉の処理】より
◆ 野生動物(ケモノやマガツ?大蛇など)は、山や里や村や田畑や水を荒らして、人心を狂わせるので、
◆ 山狩人たちは、これを見つけたら弓矢で射殺せ、石弓で打ち殺せ、竹ワナで弾き殺せ、また土穴に落として殺せ!
◆ 殺したあと、その肉は食べてはならない、毒があるからだ。
◆ その死体は、野原の端に掛けて、ススキやカヤや朽木を集めて燃やせ!
◆ (死体が)穢れ火を放ち、焼け落ちたとき、息吹き、風付けして、塩をまいて、清みを取り戻して、毒が消えたあと、田畑にまけば肥料になる。 —–以上、筆者が意訳—–
凄まじい嫌悪感さえも感じられる、強烈な記述ですが、農耕民族であった弥生人たちが、いかにケダモノを嫌っていたかが分る、貴重な資料です。
この記述から、下記の3点が読み取れます。
(1) ケダモノの物理的・心理的被害
まず、大切な農地や作物、水源地を物理的に破壊して“荒らす”だけでなく、人間の心を狂わせるとあります。
原文では“”頑狂(くなたぶれ)なす”となっていますので、文字通り訳せば“頭を狂わせる”ことになります。
つまり、怒りや恨みという負のエネルギーが感染するという意味でしょうか?
(2) ケダモノの毒性
しかも、その肉は穢れており毒(おえみ)があると書かれています。
その穢れを取るために、火や風や塩を使うという独特のノウハウが紹介されています。
この毒(おえみ)の正体については、ここには詳しく書かれていませんが、
ヲシテという神代文字で書かれた『ホツマツタエ』には、
アマテル神の教えとして下記のとおり説明されています。
【健康食(スガカテ・清食)の勧めと万物創成の五化元素】
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya15-2.html
(3) 狩人の存在と役割
当時から猟師が存在していたこと、しかもその役割は食料としての動物を捕獲することではなく、自分たちが大切に育てた農作物を保護するための「野生動物駆除隊」として活躍していたこと、さらに原始的な武器を持っていたことなどが分ります。
『もののけ姫』との共通点
宮崎駿監督の名作『もののけ姫』のなかには、イノシシの大将である乙事主(おっことぬし)が、祟り神となるシーンがあります。
物語の冒頭で、主人公のアシタカも、祟り神に変身した別のイノシシを殺してしまうことにより、呪いをかけられて、右腕に消えない痣(アザ)が残ります。
宮崎駿監督は、この発想をどこから得たのでしょうか?
私には、ウガヤフキアエズ王朝=弥生時代の記憶が、みごとに再現されているとしか思えないのです。
※ちなみに、この物語の背景にあるのは「照葉樹林文化論」といわれていますが、もしかしたらこれこそが(かつて中国大陸まで支配していたという)弥生人たちの本質なのかもしれません。・・・・・議論の多いところなので、また別の機会に改めます。
つまり、「四足は祟るから殺すな!食べるな!」という素朴な原始信仰が、日本人のなかに脈々と引き継がれてきたのです。
それは、仏教の影響ではない!
日本人が肉を食べないのは「仏教の影響である」と思われていますが、全く違います。
「お釈迦様も肉を食べた」と、お経にも書かれているくらいですから、仏教自体が肉食を禁止している訳ではありません。
さらにお釈迦様は、「スジャータ」という牛乳を神聖な栄養食として摂取していました。
わが国においても奈良時代から平安時代にかけてのわずか200~300年間だけ、牛乳※が摂取されたという記録が残っています。
※長屋王(皇室の食料調達係)の木簡などに記述がある「蘇(そ)」という乳製品で、最近になってタレントの田中義剛が流行させた生キャラメルのようなものが存在した。
その後、日本の食物史から忽然と姿を消した「牛乳」は、歴史上の謎※とされています。
※ちょうど大化の改新の時期と一致するので、この頃は縄文人が政権を握っていた証拠か?
仏教では、一般に生き物の殺生は禁止されていますが、食べてはいけないというのは宗派によります。
しかも、仏教が日本に伝来したのは、6世紀半ばの欽明天皇期というのが定説になっていますから、ウガヤフキアエズ王朝が滅んだあとのことで、時期的にも全く合わないことになります。
つまり、仏教が伝来するはるか以前から、仏教の教えに関係なく、日本人たちは菜食主義者だったのです。
逆のこの風習が、仏教のなかにも取り込まれて、習合したとみるほうが正解のようです。
それでは、逆に肉食してきた人たちとは、いったい誰なのか?
それでは、日本の歴史のなかで“肉食をしてきた人たち”とは、いったいどんな人たちなのでしょうか?
誰でもすぐに思いつくのが・・・・・
(1) 縄文人・・・・貝塚などの遺跡の発掘から、イノシシやシカの肉を食べていたことが分っています。
(2) 出雲王朝・・・・ウエツフミの記述では、この国が滅んだ最大の理由として「大国主が人民に肉食を許していたので、大年の神の罰が当たった。」と書かれています。
>>> 詳しくはこちら。
(3) 被差別民・・・・歴史的には、エッタや非人と呼ばれた人たちが存在していたことは事実です。
※差別してきたのではなく、「あんな穢れたものを平気で食べる信じられない人たち」という意味で忌避してきたのではないかと私は思うのですが、いずれにせよ差別は許されないことです。
(4) 明治政府・・・・洋食を奨励し、江戸時代まで“ご法度”とされてきた肉食を解禁しました。その先駆者となったのが、福澤諭吉※らです。
※交詢社ビルで洋食の普及に努めたり慶応義塾の学生食堂をパン食に変えたことでも有名。
つまり、縄文人=出雲王朝=被差別民=明治政府という強いつながりがあることが、食物の歴史からも証明されたことになります。
さらに、世界に目を転じれば、お隣の朝鮮半島や、キリスト教徒に代表される西洋人たちも、積極的に肉食を文化としています。
※もしかしたら朝鮮民族に特有の「恨みツラミの文化=恨(ハン)」は、肉食と関係があるかもしれない。
※ちなみにイスラム教徒は、豚肉は絶対禁止で、その他の肉も「ハラール」という特別な儀式を行なってから食べる。つまり原始日本人と同じく、その害悪を認識していた。
DNAの研究からも、縄文人とは、アフリカから発祥して、中東を経由して、日本にたどり着いた「流浪の民」であったことが証明されはじめました。
つまり、縄文人とは“ユダヤの失われた一種族”であった可能性が高くなってきたのです。
>>> 詳しくはこちら。
以上のように見てゆくと、日本の長い歴史の舞台裏で、この「肉食文化圏の縄文人」と「菜食文化圏の弥生人」が、お互いに激しく争っている!という私の主張が、まんざらの空論ではないことが、ご理解いただけたかと思います。
だから、『古事記』や『日本書紀』からは、「肉食禁止」の記述が削除されたのです。
なぜなら、それを書いたのは、当時政権を握っていた縄文人たちだったから・・・・・?
◆ 「日本史を動かしてきた二大勢力—-それは縄文人と弥生人だった!」
◆「『ウエツフミ』には、弥生人の日常生活が細かく記述されていた!」