認知症は老化ではなく病気です。
(認知症を引き起こす原因には、さまざまなものがあります)
【早期発見できれば治療可能な認知症もあります】
(薬の服用等による認知症)(甲状腺機能低下症)(ビタミンB1、B12欠乏症)
(慢性硬膜下血腫)(脳腫瘍)(正常圧水頭症)(アルコール等中毒障害)
上記の様な病気等が原因の場合、早期治療で治る可能性があります。
【認知症とまちがわれる症状や病気】
●うつ病・・・記憶力、判断力が低下するため(抗うつ剤等で回復します)
●脱水症状・・意識障害で幻覚症状等の状態になるため(水分補給が必要)
●難聴・・・・質問と関係のない返答になるため(検査のうえ補聴器等)
【認知症の初期症状】
続きを読む
投稿者「user」のアーカイブ
金沢大学 緑茶を飲む習慣と認知機能低下との関連を発見!
認知予防 緑茶
脳腫瘍で余命1ヶ月と宣告⇒ネットで調べた療法を続け
脳腫瘍で余命1ヶ月と宣告⇒ネットで調べた療法を続け
⇒脳腫瘍が消えた!!「脳腫瘍との戦い」詳細な記録
待ちに待って、名前が呼ばれて、脳外の診察室に入って行きました。そして画像を見て、医師は「もう腫瘍は映っていません。治ったようですね。」と言われました。私はハトに豆鉄砲のように一瞬信じられませんでした。 ついに家内の脳腫瘍は消滅してしまいました!!!
・・私はネットでガンについて、脳腫瘍について、その代替療法について調べ続けました。ヨーロッパは日本よりも20年進んでいる。アメリカは日本よりも10年進んでいると書かれていました。それでこの西洋医学に代わる、代替医療について学び続けました。
その一つがバイオ・コンビネーション療法であり、免疫を上げる食品と、腸内環境の改善、活性酸素の消去、血流の改善、これらにより、結局は自己免疫を向上して、自分自身のナチュラル・キラー細胞を活性化させ、この細胞がガンを攻撃し、ガンを消滅させる事が自宅においても出来る事を見つけ出したのです。
・・他はこのブログに100枚以上に渡り、掲載し続けて来た通りです。
続きを読む
乳がんの母を看取って思うこと
乳がんの母を看取って思うこと
乳がんの闘病生活6年(在宅医療)を得て母は旅立ちました。
末期癌との闘いというのは想像を絶するものがありました。
前向きに治療に取り組みましたが、最後の3ヶ月は痛みに泣き叫び、
のたうちまわりました
母は西洋医学での治療を拒み、東洋医学での治療を希望しました。
実際のところ、家族でかなりの言い争いになりました。
結局「苦しんで死のうとも手術や抗がん剤は受けたくない!」
そう言って母は泣き崩れ、私たちの説得は届きませんでした。
手術や抗がん剤は受けない方針で家族で協力することになったのです。
というのも、
母は持病の治療のため30年ヨーガや菜食を続け、健康を取り戻した人。
50代になってからも更にヨーガを究めるため、
ヨーガ療法学会の認定ヨーガ教師という資格を取得しました
(インドで有名な資格のようです)。猛勉強をしたと言っていました。
いくつになっても努力し続ける母には尊敬の念を抱きます。
とはいえ、
そのヨーガを指導しながら自分が癌になってしまった。
ヨーガに対して泥を塗ってしまうのではないかという思い。
健康に長生きしようと言ってきた生徒さんを裏切るのではないかという思い。
辛かったと思います。
完治とまではいかなくても東洋医学で癌と共存して生きようとしたのです。
(本人の中ではステージ2くらいで)
そして、誰にも言わないでほしい。それが母の願いでした。
孤独だったと思います。
しかし、
そんな母が「やっぱり手術したい。」
末期癌との闘いというのは想像を絶するものがありました。
前向きに治療に取り組みましたが、最後の3ヶ月は痛みに泣き叫び、
のたうちまわりました
母は西洋医学での治療を拒み、東洋医学での治療を希望しました。
実際のところ、家族でかなりの言い争いになりました。
結局「苦しんで死のうとも手術や抗がん剤は受けたくない!」
そう言って母は泣き崩れ、私たちの説得は届きませんでした。
手術や抗がん剤は受けない方針で家族で協力することになったのです。
というのも、
母は持病の治療のため30年ヨーガや菜食を続け、健康を取り戻した人。
50代になってからも更にヨーガを究めるため、
ヨーガ療法学会の認定ヨーガ教師という資格を取得しました
(インドで有名な資格のようです)。猛勉強をしたと言っていました。
いくつになっても努力し続ける母には尊敬の念を抱きます。
とはいえ、
そのヨーガを指導しながら自分が癌になってしまった。
ヨーガに対して泥を塗ってしまうのではないかという思い。
健康に長生きしようと言ってきた生徒さんを裏切るのではないかという思い。
辛かったと思います。
完治とまではいかなくても東洋医学で癌と共存して生きようとしたのです。
(本人の中ではステージ2くらいで)
そして、誰にも言わないでほしい。それが母の願いでした。
孤独だったと思います。
しかし、
そんな母が「やっぱり手術したい。」